積立投資を続けている間は、「下落したときは安く買えるチャンス」と前向きに考えられます。 一方で、退職後などに資産を取り崩す段階に入ると、下落の意味は大きく変わります。 毎年の平均リターンが同じでも、大きな下落が投資の「最初」に来るのか「最後」に来るのかで、将来の資産残高や資産寿命が大きく変わってしまうからです。 この現象は「順序リスク(Sequence of Returns Risk)」と呼ばれます。
この記事では、初期資産1,000万円から毎年末に80万円を取り崩す10年間の仮想例を使って、なぜリターンの順番だけでこれほど差が出るのかを、図と数字でわかりやすく見ていきます。
取り崩しがない場合:順番を変えても10年後の結果は同じ
まずは基準として、途中で資金を一切取り崩さない場合を見てみましょう。 運用期間は10年間とし、次の2つのケースを比較します。
「下落が先」のケースでは、1年目から10年目までのリターンを−20%、−10%、+15%、+10%、+8%、+6%、+5%、+4%、+3%、+2%とします。 「下落が後」のケースでは、同じ10個のリターンを逆順に並べ、最初の8年間はプラス、最後の2年間に−10%、−20%の下落が来るようにしています。
- 下落が先
- 下落が後
グラフを見ると、途中の残高の動きは大きく違います。 下落が先に来るケースでは、序盤に資産が大きく落ち込みます。 ただし、10年後の最終残高はどちらも1,196.22万円で、完全に一致します。
これは、途中で引き出しがない運用では、毎年「前年末の残高 × (1 + 当年のリターン)」という掛け算を繰り返しているだけだからです。 掛け算は順番を変えても最終的な積は同じになります。 そのため、大きな下落が最初に来ても最後に来ても、最終的な資産額は同じになるのです。
取り崩しがある場合:下落が先に来ると約220万円の差が開く
では、毎年同じリターンで運用しながら、毎年末に生活費として80万円を定額で取り崩すとどうなるでしょうか。 先ほどと同じリターンの並び順で、年末の引き出しを加えた推移を見てみます。
- 下落が先
- 下落が後
| 条件 | 下落が先 | 下落が後 |
|---|---|---|
| 初期資産 | 1,000万円 | 1,000万円 |
| 10年後(取り崩しなし) | 1,196.22万円 | 1,196.22万円 |
| 10年後(毎年末80万円) | 200.92万円 | 420.92万円 |
毎年末に取り崩しを加えるだけで、10年後の資産残高に大きな差が出ます。 下落が後に来るケースでは420.92万円(約421万円)が残る一方で、下落が先に来るケースでは200.92万円(約201万円)にとどまり、半分以下まで減ってしまいます。
同じ10年間のリターンを経験しているのに、差は約220万円にもなります。
なぜ、下落の順番だけでここまで差がつくのでしょうか。 その理由は、資産が大きく目減りしている最中に定額を引き出すと、運用に回る元本(運用の土台)が急激に削られてしまうからです。 元本が小さくなってしまうと、その後に相場が回復して高いリターンが出ても、資産を増やし直す力が弱くなります。
積立期であれば「下落=安く多く買い増せるチャンス」とプラスに働きます。 しかし、取り崩し期には「下落=安い価格で多くの資産を手放さなければならない」という大きな逆風になります。
取り崩し計画を考えるときのポイント
今回の計算は、リターンの順番がもたらす影響を直感的に理解するための仮想例です。 実際の運用では、税金や売買手数料、将来のインフレ(物価上昇)、公的年金の受給額など、さまざまな要素が関係します。
資産運用の研究でも、この順序リスクの重要性は広く指摘されています。 たとえばClareらの研究1では、リターンが悪い時期が資産の取り崩し開始時点と重なるリスク(順序リスク)を詳しく整理しています。 また、米運用会社Vanguardの資料2でも、取り崩し開始時の下落と定期的な引き出しが重なると、その後の相場回復期にも資産を取り戻すのが難しくなることが、データとモデル分析の両面から示されています。
実際の取り崩し計画を考えるときは、「長期の平均で年何%増えるか」という期待リターンだけでなく、「取り崩しを始めた直後の数年間に大きな下落が起きたらどうなるか」をあらかじめ想定しておくことが大切です。
初期の下落局面に直面したとき、資産を安値で無理に取り崩さずに済むように、数年分の生活費を安全資産(預貯金や個人向け国債など)として別枠で確保しておく方法があります。 また、下落が続いている期間は引き出し額を一時的に減らすなど、取り崩しペースを柔軟に調整する工夫も有効です。
運用中にどれくらいの下落までなら、家計やメンタルが耐えられるのかについては、家計の余力と心理的な耐性を整理するリスク許容度の測り方3も参考にしてみてください。